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大村藩三十七士|幕末の尊王攘夷運動を推進した若き志士たち

幕末

幕末の動乱期に、長崎の大村藩で活躍した志士たちがいました。

大村藩三十七士と呼ばれるその若者たちは、尊王攘夷運動に身を捧げ、明治維新の実現に大きく貢献したのです。

彼らの情熱と行動力は、日本の歴史を大きく動かしました。 本記事では、大村藩三十七士とはどのような集団だったのか、その結成の背景や主な活動、そして代表的なメンバーの功績などを詳しく解説します。

また三十七士が日本の近代化に果たした役割についても考察します。歴史に名を残したこの若き勇者たちの真の姿を、ぜひご一読ください。

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mohu

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大村藩三十七士とは?幕末の志士集団の正体!

幕末の動乱期、長崎の大村藩で活躍した勇敢な志士たちがいました。大村藩三十七士と呼ばれるその若者たちは、尊王攘夷運動に身を捧げ、明治維新の実現に大きく貢献したのです。彼らの情熱と行動力は、日本の歴史を大きく動かしました。本記事では、大村藩三十七士とはどのような集団だったのか、その結成の背景や主な活動、そして代表的なメンバーの功績などを詳しく解説します。

三十七士結成の背景 – 藩内の尊王攘夷機運の高まり

大村藩三十七士が結成されたのは、文久3年(1863年)のこと。慶応2年(1866年)末に37人になりました。当時の大村藩は佐幕派が優勢で、藩としての方向性が定まっていませんでした。そんな状況下、藩校「五教館」で学んだ若き武士たちが密かに集まり、尊王攘夷を掲げる同志の会を結成したのです。彼らは藩の目を避けるため、当初は密かに活動を始めました。

三十七士の中心メンバーは、次のような面々でした。

  • 渡辺清:三十七士のリーダー的存在。英国式軍事教練を学んだ異色の経歴の持ち主
  • 松林飯山:大村藩一の秀才と称された人物。藩校「五教館」の校長を務め、三十七士の結成に尽力
  • 渡辺昇:渡辺清の弟。薩長同盟の締結に奔走し、坂本龍馬とも親交があった

佐幕派(さばくは)とは、幕府の存続を支持し、倒幕派の反対勢力として呼ばれた政治勢力です。

尊王攘夷(そんのうじょうい)とは、天皇を尊ぶ「尊王」と外国勢力を追い払う「攘夷」という2つの思想が結びついた政治運動です。幕末期(江戸時代末期)に水戸学や国学の影響を受け、維新期に活発化しました。

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尊王攘夷の理念を藩内外に広める三十七士の活動

結成された三十七士は、尊王攘夷の考えを藩内に広めるため、様々な活動を展開しました。

  • 志を同じくする仲間を増やすための勉強会や討論会の開催
  • 長崎や江戸への遠征による他藩志士との交流
  • 藩内の佐幕派勢力との論戦

こうした地道な活動を通じ、三十七士は少しずつ大村藩の方向性を勤王へと導いていったのです。彼らの行動力と説得力が、藩是を「尊王攘夷」へと転換する原動力となりました。

勤王とは、王のために力を尽くし、忠節を励むこと。特に幕末時代、幕府を助ける佐幕派に対して、京都朝廷のために働いた一派のこと。

大村藩三十七士が果たした歴史的役割

大村藩三十七士の活躍は、日本の歴史の転換点となった明治維新に大きな影響を与えました。ここでは、彼らが果たした2つの重要な役割を見ていきましょう。

九州諸藩との連携による倒幕運動の推進

三十七士は、尊王攘夷運動の先駆者として、明治維新の実現に大きく貢献しました。彼らは薩摩藩や長州藩など、同じ志を持つ九州の諸藩と密接に連携し、倒幕へ向けて機運を高めていったのです。

特筆すべきは、清河八郎を通じて薩摩藩と長州藩の間に橋を架け、双方の連携を促したことです。いわゆる「薩長同盟」の成立には、三十七士の働きかけが大いに影響したと言えるでしょう。

大村藩の勤王路線への転換

三十七士のもう一つの重要な功績は、大村藩の方向性を佐幕派から勤王派へと大きく転換させたことです。藩内には守旧派の勢力が強く、倒幕の動きに抵抗する動きもありましたが、三十七士は巧みな論戦と行動力で、次第に藩論を勤王へと傾けていったのです。

彼らの尽力により、元治元年(1864年)には「尊皇攘夷」が藩是に定められ、藩兵の江戸上りも決定しました。こうして大村藩は九州雄藩の一角として、明治維新の原動力となる基盤を整えたのです。

明治新政府樹立後の三十七士の活躍

明治維新の実現後も、三十七士のメンバーの多くは、新政府の要職に就くなど、近代国家の建設に大きな役割を果たしました。

例えば渡辺清は、明治新政府下で福岡県令や福島県知事を歴任し、地方行政の基盤作りに尽力しました。弟の渡辺昇も、警視総監や東京府知事などを務め、治安維持と首都の発展に貢献したのです。

三十七士の面々が各地で活躍したことで、大村藩出身者は明治政府の中枢を支える重要な人材として、高く評価されるようになりました。

まとめ 

本記事では、幕末から明治にかけて活躍した大村藩三十七士について詳しく解説してきました。

三十七士とは、尊王攘夷運動に情熱を捧げた若き志士たちの集団でした。

彼らは大村藩内で勤王運動を進めると同時に、九州諸藩とも連携して明治維新の実現に貢献しました。

渡辺清、松林飯山、渡辺昇など優れた人材を輩出した三十七士の活躍は、日本の近代化に欠かせない存在だったのです。

私たちが三十七士の志を学ぶ意義は、決して過去のものではありません。激動の時代に、自らの信念を貫き行動した彼らの生き方は、現代を生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれます。

変革の時代を勇気と情熱で切り拓いた大村藩三十七士の精神を、今一度胸に刻んでおきたいものです。

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